元編集者のナゾとき☆日記

ミステリー系のTVドラマ・映画・漫画の感想や生活実感コラムをつれづれなるまま書きます。

ツレが亡くなりまして、怒涛の日々。その1(順不同の日記)

ちょっとご無沙汰してしまいました。ごめんなさい。

ツレは、がん闘病中でした。2月に確定診断、4月から治療開始で、入退院と通院を繰り返していました。8月は自宅療養中でしたが、急に状態が悪くなり、旧盆の最中に、亡くなりました。享年67歳。

コロナ禍で、いろいろな困難があり、葬儀もひっそりと済ませました。

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亡くなったお父さんお母さんがお迎えに来ちゃったんだなあ、と今は思っています。

思うところは多々あり、今日は少し気持ちが落ち着いてきた(今もやることいっぱいで、怒涛の日々ですが)ので、この間のことを、書き留めていきたいと思います。

救急搬送・集中治療室(ICU)・危篤・臨終の夜・葬儀の準備・初めての喪主・葬儀・故人の財産把握・遺品整理と、今も現実は試行錯誤中です。書く順番は、時系列としては行ったり来たりの順不同になると思いますが、お許しください。

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1/重態とか危篤という言葉は、病院は使わない

前回の記事で、ツレが救急車で搬送されたことを書きました。

その日、まさか集中治療室(ICU)に入るとは予想していなかった(確かに、8月に入ってから急速に歩けない、飲食も難しい、トイレにも行けない状態になり、私1人では世話も限界でしたが)のです。

7月の検査と診察で「がんは小さくなっている」と医師に言われていたのに。ただ、身近で様子を見ていた立場の私からすると、その診断?のわりに、全身状態があまり良くないなあ(食欲減退、体重減少、意欲低下、性格は以前にも増して気難しく怒りっぽくなり、対応がとにかく難しい。日時の感覚はズレてしまい、診察の日時を間違えたこともある。髪の毛だけは復調しつつあった)とは思っていたのですが。

 

搬送された日の検査で「腹水が溜まっている」。数日後には担当医に呼び出され、面談で聞かされたのは「前回は確認できなかったが、今はがんが全身に転移している」。

え、1ヶ月で、そんなに状況変わるのか? とも、一瞬思ったけれど。

さらに、終末時の対応についても、難しい対応を迫られることに。呼吸停止や心拍停止になったときにどういう処置まで望むか、という判断を求められました。本人の体力も落ちているので、これ以上苦しませたくないというのが、医師と家族(私)の意見が合致したところです。延命処置(電気ショックなど)はしない、ということにサインをしました。急速な展開でした。

 

さすがにこれは、世に言う「重態」なんだろうと感じ始めました。ツレは、たまさか縁あって夫婦という、もとは他人の間柄だけど、血の繋がった兄も姉もいます。この人たちと過ごした日々があり、その人たちにとって弟という存在は代え難いものだろうと推測(私にはきょうだいがおらず、さらにいうなら母も一人っ子で血縁関係はほんとに少ないし、遠い)。治療開始当時は「現況を、兄や姉に報告する必要なし」と本人から厳命されていたのですが、連絡を取ることを考えました。

ここ数年いろいろあって疎遠にしていた、ツレのきょうだい(義兄は同じ東京住まい、義姉は隣県)に連絡を入れ、ツレの様子を伝えました。すると義兄がすぐ面会したいといい、一緒に病院へ。私は、ご無沙汰のお詫びをしつつ、画像越しに面会。

この日、看護師さんから「近日中に、一般病棟の個室に移っていただくことになります」と言われました。

「それは、どういうことでしょうか?」と聞くと、

ICUでできることはもう無い(←この辺の言葉遣いは、私のうろ覚えです。患者家族を傷つけないよう、言葉を選んでいるなという風情あり)」と言われました。

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通常の「集中治療室を卒業して一般病棟へ」と異なり、ツレの場合は、「ほぼ手を尽くした」という意味なのだなと、そのとき感じました。

病院は、患者家族や近親者の気持ちが少しでも落ち着いて、「そのとき」を迎える心の準備をしておいてくれてるのかな、と思いました。

 

 

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