元編集者のナゾとき☆日記

ミステリー系のTVドラマ・映画・漫画の感想や生活実感コラムをつれづれなるまま書きます。

file 62「選手やレポーターのコメント」に聞き耳&深読みアソビ♪

オリンピックの開会式以来、TVは、朝から晩まで、かなりの時間帯にスポーツ色が満載。私追っかけおばちゃんになっています。初めて見た競技の面白さを知ることもあり、試合終了後の選手のコメントまで含めて「結果」かなと思ったりします。

 

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↑正式には「TOKYO  Olympic 2020」まで含めて登録商標のはず。実施年を記載してある上記画像なら、フリーイラストとして使用可能かなと思い、ダウンロードしました。

 

▶︎取材レポーターにも、もと代表選手多し◀︎

自国開催のメリットの一つは、従来のオリンピック放送時より、たくさんのレポーターが登場することかも♪ です。以前なら「もと日本代表選手」の出演は、解説や試合後のコメンテイターくらいだったのに、今回は現地レポーター(試合後インタビューアー)にも多数進出されています。

それだけ選手層が厚くなったからなのか、知名度の高い人が多いのか、局アナがやるより選手から良いコメントをとれそうと見込まれてるのか、ギャラや経費が(海外派遣より)安くできるからなのか、まあ、それら複数の理由により、もと代表選手の進出が著しいのかなとお見受けします。

 卓球のもと日本代表の女性選手が解説していたのには、超びっくりでしたが。

 

*もと代表選手の起用に関する深読み編:オリンピック後の広告出演料などをどう査定するか、広告代理店さんは、この時期、いろいろ調べているのかも?? 芸能人が紅白出演するとそれ以降のギャラがランクUPするらしいですが、それと同様にオリンピックに関連して出演したらランクが変わるのかも? もし、解説などの評判が良くて今回視聴率取れたり、F1層(20−34歳までの女性)にウケるとなったら、きっと堂々と秋冬以降のコマーシャルに登場するんじゃないでしょうか。(※勝手な推測です)

 

*レポーターが記憶に残る編:1988年ソウルオリンピックでバサロ泳法で金メダルを取った鈴木大地選手(現・スポーツ庁長官)に、取材リポーターだったMr.ジャイアンツが大声で呼びかけてたシーン、さらに、Mr.ジャイアンツは陸上競技の会場にも登場して「カール、カール!」と呼びかけ、当時100mの世界最速の男だったカール・ルイスが、驚いたような顔をしながら、近づいてきてくれたシーンなどが、印象に残っています。

 

▶︎選手のコメントに思うこと◀︎

前評判では「メダル候補」と言われながら、思うような結果を残せなかった選手たちが、予選敗退したときに、コメントを求められていました。いろいろなことを言って、中には物議を醸した選手もいたようですが・・・。

「言われて、ムカついた」は、個人的な気持ちを素直に表現した発言でしょうから、気持ちは分かります。けど、一般視聴者に聞かせたい言葉じゃない。コメントは、ヒトのために発することを意識したら、評価は変わったと思うんですけどね。少しだけでも、公人(公に注目されている人)の自覚を持っていると、もっと味方が増えるのに。

 

※余談ですが、企業が「謝罪会見」などをするときは、お詫びのスピーチ、お辞儀の角度とか時間などを、細かく指導する専門家を呼んでいます。そういう専門家がいるんです。オリンピック選手に選ばれたら、その種の専門家を呼んで「突っ込まれないコメント」を出す訓練&メンタルトレーニングlessonみたいのを受けさせてあげると、いいのに。と思いました。最小限のコツだけ飲み込んでおくだけで、選手の気分はきっと違うと思う。

 

個人的には、「勝ち負け」は下記の言葉に尽きると考えます。

 

勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし (松浦静山甲子夜話」より)

 

かつてプロ野球の野村監督が座右の銘にしていた名フレーズですが、実は元ネタは江戸時代後期の大名、松浦静山平戸藩)の随筆集の中にある言葉です。

私は、この言葉を、漫画「エースをねらえ!」で知りました。この漫画は一般に「テニスのスポ根漫画」と言われますが、ある面、生きることの哲学書でもあります。登場人物それぞれのセリフに、素通りできないメッセージのすごさを感じさせてくれます。

ちなみに、松岡修造さんは「現役テニスプレイヤーの時代、試合のときは必ずこの漫画を持っていった」と、かつてtv番組で語っていました。

 

さて。上記のフレーズは「負けには必ず原因はある」説だと思うのですが、それを直後の選手が語れたとしたら、それこそが敗北の原因です。直後に自己分析を求めるなよ、というのも、一般視聴者として、レポーターさんへのお願いかなあ。ま、だから、選手の返答も抽象的になっちゃうんだけどね。

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↑文庫サイズ全10巻、webなどで今も入手可能のようです。原本は、集英社発行だったと思うのですが。上記の画像は、全巻セット販売中のサイトから引用させていただきました。

 

※反発を呼んだコメントと共感されるコメントの違い編:バドミントンのM選手と、競泳のS選手は、前評判では「金メダル候補」と呼ばれていました。その2人がメダルを取れずに敗退したときのコメントは、M選手が「悔いがないとは言えないが、全てを出し切った」と言い、S選手は「全てを出し切ったから、悔いはない」だったように思います。

似たようなコメント(言葉の順番が逆?)ですが、前者は多くの人に受け入れられ、後者は必ずしもそうではなかったように見受けます。なぜでしょうか?

「悔いはない」と言う言葉を、後に入れてしまったのが、敗因の一つかなと私は思いました。「悔いはない」と言いきるのは、彼自身が自分を受け入れ、今のままを承認してもらい、今後の自分を鼓舞するために、使った言葉でしょうが、そこには今までへの感謝が含まれていません。彼の自己評価だけであって、彼を見ていた人、今まで応援してくれた人の気持ちまで、思いが馳せられていないようです。

だからこそ、孤高のキングオブスイマーを目指せる資質、とも言えそうですが。

ただ、この言葉を聞いた誰かが、スポンサーとして彼に手を差し伸べてくれるのは、今後なかなか難しいのではないかと。余計な心配をしてしまいました。

彼の周りには、耳の痛い言葉を言ってくれる人がいないのかな。

周りの聞き耳がうっとうしいから、自分の「聞く耳」まで塞いじゃったのかな。

 

 同時に、同じ種目に参加したH選手のコメントを聞いた感想としては、「お疲れ様でした!」としか言えません。さぞ辛かったんだろうなあと思います。よくココ(オリンピック出場、決勝進出)まで戻ってきてくれました、とも思います。けど、、。

それは、多くの選手が悶々として抱えていた課題だったろうし(常勝を期待される柔道の選手たちが次々と「辛いこともあったが」とコメントしていたことでも明らか)、H選手が涙ながらに「メダルには届かなかったけど、一緒に泳げて、幸せだった」なんて、公衆の面前で語るのは、ルール違反?ではないかと。こちら一般人は、センチメンタルなヒューマンドラマを見ているつもりじゃなかったけど、あなたはそっちに行くの?みたいな。

いや、これは、私が「人前で、さめざめと泣く人」に対するアレルギーがあるせいです。負けて(失敗して)泣く人のことを、誰も責めません。だから、泣くという行為を〝誰かに責められる前の防御策”として使うのは、キライなんです。H選手に、そういう意図があったとは思えませんが、とにかく私は人前で泣く人が苦手なのです。勝って泣く相手ならイジれるが、負けて泣く奴には、なんも言えねー、とか思うから。

私が会社員だった時代、役員の面前で泣いた奴が赦され、泣かなかった私が「なんだ、その生意気な目は」と叱られ、異動させられた事件を思い出すから、というのもあります。

 

社会人を40年近くやってきた(産休育休、プー時代を除く)おばちゃんだから、ま、苦くてしょっぱい思い出も、たんとありますわ(笑)。